東京を離れたあと、僕は一度、実家に戻った。

仕事を辞めたのだから、しばらく休めばいい。

頭ではそう思っていた。

でも、実家で休むことは、僕にとってあまり休みにならなかった。

父親のいる場所に長くいると、どうしても自分がまた評価される側に戻ってしまう。

何をしているのか。

次はどうするのか。

いつまでその状態でいるのか。

直接言われる言葉だけではない。空気そのものが、僕を急かしていた。

再エネの会社を辞めたばかりで、本当は少し止まりたかった。

けれど、止まっている自分を、実家の中でうまく許せなかった。

だから僕は、また制度を探した。

働くためというより、まず休むために。

逃げるためと言えば、たぶんその通りだった。

ただ、今度の逃げは、完全な逃避にはしたくなかった。

少し休みながら、次に使える道具を増やす。

そのくらいの現実的なしたたかさが、当時の僕には必要だった。

実家にいると、また別の重力に引っ張られる

実家に戻れば、家賃はかからない。

食べる場所もある。

一人で東京にいるより、生活としては安全だったと思う。

でも、安全な場所と、心が休まる場所は同じではない。

父親は、悪意だけで僕を見ていたわけではない。

むしろ、現実的なことを言っていたのだと思う。

無職でいるより、早く次を考えたほうがいい。

資格や経験を無駄にするな。

先のことを考えろ。

そういう言葉は、ある意味では正しい。

ただ、正しい言葉ほど、弱っている時には重い。

僕はまた、家の中で「まだ何者でもない自分」を見られている気がした。

阪大時代も、愛知から戻った時も、同じような感覚があった。

親の影響圏にいると、自分の人生を自分で選んでいる感覚が薄くなる。

だから、次に行く場所が必要だった。

立派な目標ではなく、まず物理的に距離を取るための場所が。

職業訓練という制度を、もう一度使うことにした

そこで思い出したのが、職業訓練だった。

電気主任技術者科に通った時、僕はその制度にかなり救われていた。

勉強する場所があり、生活の補助があり、毎日行く場所がある。

空白期間の人間にとって、それは思っている以上に大きい。

働いていないのに、完全に社会から切り離されるわけではない。

勉強しているという名目がある。

朝、行く場所がある。

人と少しだけ話す機会がある。

僕はまた、それを使うことにした。

きれいな言い方をすれば、学び直し。

もっと正直に言えば、休養と生活費と次の準備を同時に取るための現実的な選択だった。

制度は、使えるなら使えばいい。

精神論だけで立ち直れるほど、人間は丈夫ではない。

特に、仕事を辞めた直後の人間は、自分の意思だけで生活を組み直すのが難しい。

だから僕は、もう一度、枠組みの中に入ることにした。

なぜITだったのか

選んだのは、栃木のIT専門校だった。

電気の訓練校に続いて、また訓練校か、と思う人もいるかもしれない。

でも当時の僕には、ITを学ぶ理由があった。

再エネO&Mの現場では、書類や記録や管理の古さを何度も感じていた。

点検記録。

写真整理。

要領書。

安全書類。

図面。

メール。

会議体。

大きな設備を扱っているのに、その周辺の業務は驚くほど人力で回っている部分が多かった。

もちろん、現場の仕事は簡単にIT化できるものではない。

紙や対面や経験則が必要な場面もある。

でも、全部がそのままでいいとも思えなかった。

電気の知識だけではなく、情報を整理し、記録し、仕組みにする力があれば、もっと違う立ち位置を作れるのではないか。

そんな問題意識があった。

電気×IT。

当時はまだ曖昧だったけれど、その組み合わせには可能性を感じていた。

栃木という距離が、ちょうどよかった

場所が栃木だったことも、僕には大きかった。

大阪では近すぎる。

東京は、前職の記憶が近すぎる。

愛知は、ひきこもり時代の影が濃すぎる。

栃木は、そのどれとも違った。

知り合いが多い場所ではない。

自分の過去を説明しなくていい。

都会すぎず、田舎すぎず、少しだけ静かに生活を立て直せる距離感があった。

もちろん、そこに行ったからといって人生が急に整うわけではない。

ただ、東京の満員電車から離れ、父親の視線からも離れ、毎日通う場所だけはある。

そのくらいの条件が、当時の僕にはちょうどよかった。

再起というより、リハビリだった。

前に進むためではなく、まず止まりすぎないための場所だった。

周囲のレベルに物足りなさを感じながら、それでも救われていた

実際に通い始めると、物足りなさもあった。

周囲の生徒のレベルに対して、自分は少し退屈する場面もあった。

最初の講師の教え方にも、正直、合わないところがあった。

またこの感じか、と思う瞬間もあった。

電気の訓練校でも、同じような感覚はあった。

集団の中で学ぶ場所は、どうしても全員に合わせる。

自分だけの速度では進めない。

けれど今回は、それでもよかった。

僕は成長速度だけを求めてそこへ行ったわけではなかった。

休むために行った。

生活を崩しすぎないために行った。

だから、授業が少しゆるいことも、当時の自分には悪くなかった。

空いた余力で、税理士試験や基本情報技術者、電験二種の勉強を進めることもできた。

静かな日常の中で、少しずつ勉強を積み直す。

派手さはない。

でも、あの時の僕には、派手ではない時間が必要だった。

休むことも、立て直しの一部だった

振り返ると、栃木のIT専門校は、キャリアアップのためだけの場所ではなかった。

むしろ、休むための場所だった。

ただ寝込むのではなく、制度の中で休む。

完全に社会から消えるのではなく、少しだけ外とつながったまま休む。

それは、意外と大事なことだったと思う。

人は、強い目標があるから立ち直るとは限らない。

生活リズムが戻る。

毎日行く場所がある。

少し勉強する。

少し人と話す。

そういう小さな枠組みの中で、ようやく次のことを考えられるようになる。

僕はそこで、ITを学びながら、もう一度いくつかの資格に向かうことになる。

税理士試験。

基本情報技術者。

電験二種。

そして後半には、プログラミングにも少しずつ面白さを感じ始める。

東京を離れた時、僕はまた逃げたと思っていた。

でも栃木での日々は、その逃げを少しだけ、次の準備に変えてくれた。

次に読む休みながら、資格とプログラミングを積み上げた

栃木での日常が少しずつ整い、税理士試験、基本情報技術者、電験二種、Java、そしてAIを使った小さな開発体験へ進んでいく。

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この記事は「履歴書の余白」の個人記録です。制度や学校の一般的な評価ではなく、当時の自分の体験と現在の視点をもとに書いています。