遊び尽くしてやろうと思っていた。

ずっと勉強してきた。親の期待に応えようとしてきた。進学校に入り、大学に入り、ちゃんとした道を歩いている人間のふりをしてきた。

その反動があった。

もう誰にも管理されたくない。もう真面目にやりたくない。もう優等生の顔をしたくない。

だから、自由になったら、好きなだけ遊んでやろうと思っていた。

けれど実際には、そこまで楽しくなかった。

時間はあった。邪魔する人もいなかった。

それなのに、日々はただ薄くなっていった。

場所を変えても、自分からは逃げられなかった

大阪を出た後、僕は愛知へ向かった。

トヨタ期間工という選択肢が頭にあったのは、浪人期に一度経験していたからだ。そこに行けば住む場所がある。働けばお金が入る。とりあえず親から離れられる。

そのくらいの判断だった。

大きな志があったわけではない。将来設計があったわけでもない。大阪大学を辞めた先に、何者かになる道筋が見えていたわけでもない。

ただ、地元と親の影響圏から離れたかった。

場所を変えれば、自分も変わる気がしていた。

でも、住む場所が変わっても、自分の中にあるものはそのままだった。

劣等感も、反発心も、承認されたい気持ちも、努力する人間への負い目も、全部ついてきた。

大阪から愛知へ移動したことで、確かに親からは離れられた。

でも、自分からは離れられなかった。

配信者の声が、部屋の静けさを埋めていた

一人暮らしの部屋では、よく配信者の動画や生配信を流していた。

特別に何かを学ぶためではない。

誰かの声が流れているだけで、部屋の静けさが少し薄まるからだ。

コメント欄には、いつものリスナーがいる。配信者がくだらない話をして、誰かが反応して、また別の誰かが乗っかる。

そこに自分が深く参加していたわけではない。

でも、画面の向こうに人の気配があるだけで、完全に一人ではないような気がした。

今思えば、あれは孤独の埋め方だった。

ただ、画面の中の誰かの声を部屋に流して、空白を埋めていた。

それは一時的には効く。

でも、見終わった後には何も残らない。

再生履歴だけが増えていく。

時間だけが減っていく。

ゲームは勝負の形をしていた

ゲームにもかなり時間を使った。

ストラテジー系のゲーム、将棋、ボードゲーム、カードゲーム。勝ち方を考えるものが好きだった。

単純な作業を積み重ねるより、読み合いや判断や構築で勝てるものに惹かれた。

たぶん、現実で勝てていない自分を、別の場所で勝たせたかったのだと思う。

RPGやソシャゲにも触れたが、課金勢や時間投入勢が強くなる構造にはどこかで冷めていた。

もちろん、自分も課金したことはある。だから偉そうなことは言えない。

ただ、強さをお金や時間で買っている感覚が強くなると、どこかで嫌になった。

もっと公平な勝負がしたい。

限られた条件の中で、読みと判断で勝ちたい。

そういう気持ちがあった。

けれど、その「勝ちたい」は、現実の生活を立て直す方向にはなかなか向かなかった。

ゲームの中では一手を考えられるのに、現実の一手は考えられない。

デッキ構築はできるのに、生活の構築はできない。

異世界転生ものに、都合のいい再出発を見ていた

異世界転生ものもよく見ていた。

一度今の人生が終わり、別の世界でやり直す。

過去の失敗を知らない人たちの中で、隠れていた能力が評価される。

最初から強い。あるいは、自分だけが知っている攻略法で勝てる。

その構造に、かなり都合のいい救いを見ていたのだと思う。

現実では、空白期間がある。中退がある。説明しにくい過去がある。

でも、物語の中では違う。

過去を知らない世界で、いきなり自分の価値が分かってもらえる。

それは気持ちよかった。

ただし、気持ちよさは長く続かない。

見終わると、また同じ部屋に戻る。

積み上がったものはない。

現実の履歴書には、何も増えていない。

大谷翔平を見ながら、称賛される側に自分を置いていた

大谷翔平にも強く惹かれていた。

もちろん、本人の人間性やキャラクターへの憧れもあった。

でも正直に言えば、それ以上に、周囲が大谷翔平を見る目に憧れていたのだと思う。

すごい。特別だ。この人は普通じゃない。

そういう称賛の目線を、自分に向けられているように錯覚したかった。

期間工として働いていた時期にも、仕事中にそんな妄想をしていた。

自分が大谷翔平のような人生を歩んでいる。周囲が自分を特別な存在として見ている。誰もが認めざるを得ない。

現実の自分は、大学に通えなくなり、親から逃げるように愛知へ来て、何者でもない状態だった。

だからこそ、極端に眩しい存在に自分を重ねた。

今書いていても、少し恥ずかしい。

でも、あの頃の自分には必要だったのだと思う。

現実の自分をそのまま見るには、あまりにしんどかった。

だから、別の誰かの光を借りて、自分を保とうとしていた。

問題は、その光が消えた後だった。

動画を閉じても、ゲームをやめても、物語が終わっても、部屋には自分だけが残る。

そこから先の時間が、いちばん怖かった。

続きへ時間はあるのに、何も残らなかった

好きなだけ遊べるはずの時間が、なぜ苦しくなっていったのか。自由時間、昼夜逆転、生活の崩れ、そして「自分でも稼げるかもしれない」という誘惑へ。

この記事は「履歴書の余白」の個人記録です。特定の学校・職場・家庭の一般論ではなく、当時の自分の体験と現在の視点をもとに書いています。