本当に怖いのは、時間があることだった。

忙しい時は、忙しさのせいにできる。

仕事があるから。学校があるから。親がうるさいから。環境が悪いから。

でも、自由な時間が目の前に広がると、言い訳が減っていく。

好きなだけ寝られる。

好きなだけ動画を見られる。

好きなだけゲームができる。

誰にも怒られない。

そのはずなのに、なぜか楽しくない。

自由な時間は、だんだん味がしなくなった

最初の数日は、解放感がある。

もう授業に行かなくていい。誰かに予定を合わせなくていい。朝起きられなくても責められない。

けれど、何日も続くと、快楽の味が薄くなっていく。

昼夜逆転して、起きて、動画を見て、ゲームをして、眠くなったら寝る。

昨日と今日の区別がなくなる。

一週間前に何をしていたか思い出せない。

でも、体感としてはあっという間に過ぎている。

何もしていない時間は、長いようで短い。

何も蓄積しない時間は、驚くほど速く溶ける。

遊びは、積み上がらないとだんだん苦しくなる

遊ぶこと自体が悪いとは思っていない。

休むことも必要だし、何もしない時間が人を救うこともある。

ただ、当時の僕にとっての遊びは、回復ではなく逃避だった。

休むために遊んでいたのではない。

見たくないものを見ないために遊んでいた。

大学に戻れないこと。親と向き合えないこと。自分が何者でもなくなったこと。努力している人を見るのが苦しいこと。

そういうものから目を逸らすために、画面を見ていた。

だから、いくら時間を使っても楽にならなかった。

むしろ、遊べば遊ぶほど、自分の中の空白が見えるようになった。

本当に好きで遊んでいる人は、遊びの中にも何かを積み上げる。

うまくなる。作る。人とつながる。語れるものが増える。

でも、逃げるための遊びは、終わった後に自分を責める材料になりやすい。

また何もできなかった。

今日も進まなかった。

そんな感覚だけが残る。

社会との接点が切れると、現実感が薄くなる

大学時代の荒れた部屋には、まだ社会との接点があった。

外に出ることもあったし、塾講師のバイトもあった。大学生のふりもできた。

でも、愛知での一人暮らしは違った。

社会との接点が、少しずつ細くなっていった。

人に見られない生活は、最初は楽だ。

何時に起きてもいい。何を食べてもいい。部屋が汚くても誰にも言われない。

けれど、人に見られない生活は、自分を保つ枠も失わせる。

風呂に入る頻度が落ちる。

食事が雑になる。

部屋が荒れる。

外に出るのが面倒になる。

そして、面倒になった自分を見るのも嫌になる。

生活の崩れは、突然ではない。

少しずつ、静かに、普通の顔をして進む。

気づいた時には、戻るための段差が高くなっている。

「とことん遊んでやる」は、反抗の形をしたSOSだった

あの頃の僕は、自分では反抗しているつもりだった。

もう真面目になんかやってられるか。

勉強してきた分、遊んで何が悪い。

ずっと我慢してきたんだから、好きにしていいだろう。

そう思っていた。

でも今見ると、それは反抗というよりSOSに近かった。

何をすればいいのか分からない。

戻り方が分からない。

でも助けてほしいとは言えない。

自分が崩れていることを認めたくない。

だから、遊んでいることにした。

自分で選んでいることにした。

本当は選んでいるというより、選べなくなっていただけかもしれない。

次に来たのは、「自分でも稼げるかもしれない」という誘惑だった

何も楽しくない時間が続くと、今度は別の焦りが出てくる。

このままではまずい。

でも、普通に就職するのも怖い。

誰かの下で評価されるのも嫌だ。

過去を説明するのも面倒だ。

そんな時に、自分でも何か商売ができるかもしれない、という考えが入り込んできた。

買取王国で働いた経験があった。

ホビーの買取や値付けで、オークファンのような相場を見る感覚にも触れていた。

それなら、自分でもできるのではないか。

安く仕入れて、高く売る。

調べて、判断して、差額を取る。

ゲームのように、戦略で勝てるのではないか。

そう思った。

今思えば、その発想には希望もあった。

同時に、危うさもあった。

生活が崩れたまま、判断力が落ちたまま、商売だけうまくいくはずがない。

でも当時の僕は、そこまで見えていなかった。

次は、プリンターせどりとAmazon FBAに手を出し、不良在庫だけが部屋に積み上がっていく話を書く。

次に読む / 準備中せどりで人生を変えるはずが、不良在庫だけが積み上がった

買取王国、オークファン、プリンターせどり、Amazon FBA。生活が崩れたまま始めた副業が、部屋と判断力をさらに荒らしていく話。

この記事は「履歴書の余白」の個人記録です。特定の学校・職場・家庭の一般論ではなく、当時の自分の体験と現在の視点をもとに書いています。