部屋を出たら、何かが終わると思っていた。
不良在庫も、家賃のことも、荒れた部屋も、見なければ少しは軽くなる気がした。
でも、部屋を出ても、自分の生活は自分についてくる。
住所が変わっても、肩書きが戻るわけではない。
荷物を置いて逃げても、過去まで置いていけるわけではない。
父からの連絡で、隠していた生活が少しだけ外に出た
きっかけのひとつは、せどり用の商品を誤って実家に送ってしまったことだった。
それまで、僕は家族から距離を取っていた。
大阪を出て、愛知にいて、何をしているのかも曖昧なまま、できるだけ見られない場所に逃げ込んでいた。
けれど、住所を完全に切り離すことはできなかった。
商品が実家に届き、父から連絡が来た。
約二年ぶりに、隠していた生活の輪郭が少しだけ外に出た。
その連絡で、すぐに感動的な和解が起きたわけではない。
ただ、完全に切れていた糸が、細くつながった。
それは救いでもあり、見られたくなかった自分を見られる怖さでもあった。
部屋を出ても、居場所があるわけではなかった
家賃は滞納していた。
本来なら、正面から退去手続きをして、片付けて、支払うものを支払って終わらせるべきだった。
でも当時の僕は、それができなかった。
退去費用や空家賃のことを考えるほど、逆に動けなくなる。
もうここにはいたくない。
でも、きれいに終わらせる力も残っていない。
そうして、夜逃げ同然の形で部屋を出た。
それは武勇伝ではない。
胸を張れる選択でもない。
ただ、その時の自分には、もうそうするしかないように見えていた。
部屋を出た後、しばらくはネットカフェやカラオケで過ごした。
明確な計画があったわけではない。
今日寝る場所を探し、スマホを充電し、少し食べて、また次の場所を探す。
自由というより、ただ住所がない時間だった。
実家に戻ることは、負けを認めるようで怖かった
最終的には、実家へ戻った。
限界だった。
でも、実家に戻ることには強い抵抗があった。
父親の影響圏に戻ること。
比較されること。
「結局、何をしていたんだ」と見られること。
それが怖かった。
阪大に入った人間が、大学を辞め、期間工へ行き、愛知で崩れ、せどりにも失敗し、家も失って戻ってくる。
履歴書に書くなら、どこをどう切り取ればいいのか分からない。
内心では、まだ自分には学習能力があると思っていた。
でも社会は、内心を見てくれない。
外から見えるものを見る。
学歴、職歴、資格、所属、実績。
何者かである証拠を、外側に求める。
学歴ではなく、資格で立て直すしかないと思った
その時に考えたのが、資格だった。
失った学歴を、完全に取り戻すことはできない。
大阪大学に入った事実は残っていても、中退した事実も残る。
自分の中にある「まだ勉強できる」という感覚だけでは、社会には伝わらない。
外から見える形にする必要があった。
最初に選んだのは、宅建ではなく簿記だった。
会社の数字が読めるようになりたかった。
父の商売への影響もあったと思う。
お金、会社、利益、税金。
そういうものを、感覚ではなく仕組みとして理解したかった。
無料の講義動画や、中古の参考書を使って、簿記と会計の勉強を始めた。
きれいな再出発ではない。
実家にいて、過去の失敗を抱えて、生活を整えながら、少しずつ机に向かっただけだった。
立て直しは、前向きな決意だけでは始まらない
この頃の自分を、美談にすることはできない。
「どん底から努力を始めました」と言えば、物語としては分かりやすい。
でも実際は、もっと情けなくて、もっと曖昧だった。
親の近くにいるのもしんどい。
でも一人で生きる力も足りない。
過去を清算したい。
でも正面から見るのは怖い。
その中で、資格勉強だけが、かろうじて「今日やること」として残った。
人生を変える大きな決意ではなく、崩れた生活に一本だけ線を引く作業だった。
勉強したから、すぐに救われたわけではない。
資格を取れば、全部が許されるわけでもない。
ただ、何も残らなかった時間の後で、何かが少しずつ積み上がる感覚はあった。
それが、この後の会計事務所につながっていく。
次に読む資格で再出発するつもりだった。でも、入った先は家族経営、怒鳴り声、閉じた人間関係の世界だった。
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