簿記を勉強している間、数字は静かだった。
借方と貸方が合う。
売上と費用を整理する。
利益が出て、税金が計算される。
崩れた生活の後で、帳簿の世界だけは、少しだけ筋が通っているように見えた。
だから僕は、会計を学べば、自分の人生ももう一度整えられるのではないかと思った。
資格勉強は静かだった。でも職場はそうではなかった
ハローワークを通じて、会計事務所に入った。
大阪大学を中退した後の空白や、愛知で崩れた生活を、きれいに説明できるわけではなかった。
それでも、簿記を勉強していること、数字を扱うことへの興味、まだ学べるという感覚だけはあった。
会計事務所に入れば、会社の仕組みが分かる。
税金や利益の見方が身につく。
父親がやっていた商売の世界も、少しは理解できるかもしれない。
そういう期待があった。
でも、実務の世界は、参考書のようには整っていなかった。
そこにあったのは、領収書、通帳、試算表、決算整理、確定申告、税務申告、電話対応、顧問先とのやりとり。
そして、それ以上に、人間関係だった。
数字は論理的でも、職場の空気はそう簡単ではない
仕事そのものには、面白さもあった。
月次の数字を整理する。
決算で一年分の動きを締める。
確定申告で、個人の生活や商売の断面に触れる。
会社や事業は、外から見るよりずっと生々しい。
売上があり、経費があり、利益があり、資金繰りがあり、税金がある。
数字を見ると、その人や会社が何をしてきたのかが少し見える。
そこには、学ぶ価値があった。
ただ、職場の空気は別だった。
家族経営に近い、狭い人間関係。
税理士所長のワンマン色。
怒鳴り声が聞こえる日常。
誰かが怒られていると、自分が怒られていなくても、身体が縮む。
その場の空気が、仕事のルールになっていく。
数字は論理で説明できる。
でも、機嫌や権力で動く職場は、そう簡単には読めない。
「こういう税理士にはなりたくない」と思った
会計を学びたい気持ちはあった。
税務の実務を知りたい気持ちもあった。
けれど、そこで働くうちに、別の感情も強くなっていった。
こういう税理士にはなりたくない。
もちろん、すべての税理士や会計事務所がそうだと言いたいわけではない。
ただ、僕が見た場所では、資格や専門性が、人を楽にする道具というより、狭い世界の中で権力になる瞬間があった。
専門家としての正しさ。
所長としての強さ。
家族経営の閉じた力学。
そういうものが混ざると、逃げ場の少ない空気ができる。
資格を取れば自由になれる。
専門性があれば、きれいに働ける。
当時の僕は、どこかでそう思っていた。
でも現実には、資格は入口でしかない。
その資格をどんな場所で使うのか。
誰と働くのか。
どんな空気の中に身を置くのか。
そこまで含めて、仕事だった。
辞める時も、きれいには終われなかった
最終的に、その会計事務所は辞めた。
退職も、きれいな卒業ではなかった。
最後の給与が、極端に少なかった。
働いた分がきちんと支払われない。
その現実にぶつかった時、また別の意味で社会を知った。
正しいことは、黙っていても通るわけではない。
自分を守るには、知識がいる。
記録がいる。
言葉にして伝える力がいる。
労基に相談し、内容証明も使い、一部は回収した。
大げさな勝利ではない。
ただ、逃げずに少しだけ取り返した。
その経験は、会計の勉強とは違う意味で、社会の授業だった。
会計は嫌いにならなかった。でも、その道だけではなかった
会計事務所での経験は、嫌なことばかりではない。
月次、決算、確定申告、税務申告。
会社の数字を読む感覚。
事業を見る視点。
それらは、今でも役に立っている。
簿記や会計を学んだこと自体は、間違っていなかったと思う。
ただ、そこで一生やっていく自分は、あまり想像できなかった。
狭い人間関係の中で、所長の機嫌や事務所の空気に左右されながら働く。
それは、僕が求めていた再建とは少し違った。
一方で、心のどこかには、理系への未練も残っていた。
大学でちゃんと学べなかった数学や物理。
電磁気学や、目に見えないものを理論で扱う世界。
会計で会社の数字を見た後、今度はもう一度、技術の側へ行きたい気持ちが出てきた。
会計から逃げるというより、別の土俵を探したかった。
数字だけでもない。
現場だけでもない。
理論と実務の間で、自分が立てる場所を探したかった。
その先にあったのが、電気の職業訓練だった。
次に読むヨビノリ、電磁気学への未練、職業訓練という制度。会計から技術へ、自分の立てる場所を探し直す話へ。
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