電気の職業訓練校にいる間、僕はずっと焦っていた。
ここで勉強しているだけでは、過去の空白は埋まらない。
実務に出なければいけない。
現場を知らなければ、自分はまた、知識だけを抱えたまま動けなくなる。
そう思って、再生可能エネルギーの会社を探し始めた。
その中で見つけた会社のひとつに、「東京本社」という言葉があった。
今思えば、かなり単純だ。
でも当時の僕には、その響きが、もう一度どこか上の環境へ戻れる入口のように見えていた。
実務に出なければ、立て直したことにはならない気がしていた
訓練校では、勉強面の手応えはあった。
電気の基礎も、資格の勉強も、周りより理解できる場面があった。
けれど、それだけでは足りなかった。
机の上で理解できることと、実際の設備を前にして動けることは違う。
過去の僕は、頭の中ではいろいろ考えていた。
でも、生活も仕事も、現実の場所ではうまく扱えなかった。
だから次は、現場に近いところへ行きたかった。
電気主任技術者の仕事を、当時の僕が正確に理解していたわけではない。
それでも、太陽光発電所、O&M、特別高圧、保守点検という言葉には惹かれた。
理論だけではない。
現場だけでもない。
その間に、自分の居場所がある気がした。
東京本社という言葉に、過去の傷が反応した
選考は、思っていたよりも早く進んだ。
反応が速く、面接もスムーズに決まった。
最終面接で会った人は、少し話しただけでも、技術的な知識の深さが伝わってくるタイプだった。
この人の下なら、実務を学べるかもしれない。
そう感じた。
もちろん、それだけで会社を決めたわけではない。
でも、東京本社所属という響きは、自分が思っていた以上に大きかった。
大阪大学を中退し、期間工に行き、愛知で崩れ、会計事務所でもうまくいかなかった。
その自分が、東京の本社で、再エネの仕事をする。
履歴書の上ではただの転職でも、僕の内側では、どこか「戻れるかもしれない」という感覚があった。
地元や父親の影響圏から離れたい気持ちもあった。
大阪にいると、どうしても過去の自分に引き戻される。
だから東京へ行くことは、仕事の選択であると同時に、距離を取るための選択でもあった。
入社して最初に覚えたのは、電気よりも会社の作法だった
入社してすぐに、いきなり技術者らしい仕事ができたわけではない。
最初に覚えたのは、会社の作法だった。
メールの書き方。
電話の受け方。
稟議。
会議体。
システムの使い方。
下請法の書面。
発電所や機器に付けられた番号。
図面や資料のどこを見ればいいのか。
今さら新卒のようなことを覚えていた。
でも、僕にはそれが必要だった。
大学をまっすぐ出て、会社員として社会に入った人たちが自然に通ってきた段階を、僕はかなり遅れて踏んでいた。
それを恥ずかしいとも思った。
同時に、ここで覚えなければ、また外から見える信用を作れないとも思った。
初めての現場は、思っていたより楽しかった
本社でのデスクワークに慣れ始めた頃、初めて保守点検の現場へ行くことになった。
物流倉庫の屋上にある太陽光発電設備だった。
冷凍室のある建物の屋上で、パネル、パワーコンディショナ、盤、ケーブル、測定器を見た。
教科書の中にあった電気が、目の前の設備として存在していた。
それが、単純に面白かった。
点検の段取りも、測定の意味も、全部を理解できていたわけではない。
それでも、現場に立つと、机の上で勉強していたものに輪郭が出た。
電気は、資格試験の問題だけではなかった。
図面の線だけでもなかった。
誰かが施工し、誰かが運用し、誰かが点検し、何かが起きたら誰かが責任を取る。
その現実に、初めて触れた気がした。
上流に戻れたのではなく、入口に立っただけだった
東京本社。
再生可能エネルギー。
発電所。
初めての現場。
当時の僕には、それらがどれも眩しく見えた。
ようやく、何かまともな場所に戻ってきた気がした。
でも実際には、戻ってきたのではない。
ただ、入口に立っただけだった。
会社には会社の歪みがあり、現場には現場の責任があり、仕事を覚えるほど、逃げられない範囲も広がっていく。
この時の僕は、まだそれを知らなかった。
仕事を振られることを、信頼されているように感じていた。
期待されることを、少し嬉しく思っていた。
その先で、信頼と負荷がほとんど同じ顔をして近づいてくることを、まだ分かっていなかった。
仕事を振られる喜び、地方拠点との板挟み、技術上長の退職。実務で成長するほど、負荷も膨らんでいく時間へ。
準備中