会計事務所を辞めた後、僕の中には、また空白ができた。
簿記で立て直そうとした。
会計の仕事にも、学ぶものはあった。
それでも、あの狭い空気の中で、この先ずっと働く自分は想像できなかった。
では、次に何をするのか。
その答えを、すぐに持っていたわけではない。
ただ、ひとつだけ、ずっと残っていたものがあった。
大学で、ちゃんと理系をやり直せなかったという未練だった。
会計で整えようとしても、理系への未練は消えなかった
阪大の工学部に入ったのに、僕はそこで何かを積み上げたとは言えなかった。
大学の授業は退屈で、分かりにくくて、いつの間にか通えなくなった。
それなのに、数学や物理そのものが嫌いになったわけではなかった。
むしろ、心のどこかでは、ずっと引っかかっていた。
線形代数。
電磁気学。
微分方程式。
大学で本当は触れるはずだったものを、自分はちゃんと受け取らないまま逃げたのではないか。
そういう感覚があった。
会計は、会社や商売を見るための目をくれた。
けれど、それだけでは、自分の中の理系への未練は消えなかった。
ヨビノリを見て、もう一度学びたいと思った
その頃、僕はYouTubeで「予備校のノリで学ぶ大学の数学・物理」をよく見ていた。
大学の数学や物理を、予備校の授業のように分かりやすく教える。
そのコンセプトに、妙に惹かれた。
大学教授は、教える専門家というより研究者である。
一方で、予備校講師は、分からない人にどう届けるかを考え続ける。
もちろん、どちらが上という話ではない。
ただ、かつて大学の授業についていけなかった自分には、「教え方によって、同じ内容でも見え方は変わる」という事実が救いに見えた。
理系から落ちたと思っていた。
でも、もしかすると、自分は本当に理系が向いていなかったのではなく、学び方と環境を間違えただけなのではないか。
そんな都合のいい希望も、少しあった。
特に電磁気学には惹かれた。
目に見えない電場や磁場を、式で扱う。
電気という現象を、理論と現実の両方から見る。
そこに、会計とは違う種類の面白さを感じた。
職業訓練という制度を知った
仕事を辞めた後、インターネットで職業訓練という制度を知った。
勉強しながら、次の仕事へ向かう準備ができる。
給付を受けられる場合もある。
お金が十分にあるわけではない人間にとって、これはかなり現実的な選択肢だった。
きれいなキャリア設計ではない。
社会復帰のために、使える制度を使う。
それくらいの感覚だった。
その中で、電気主任技術者科という選択肢が見えた。
電気の基礎を学べる。
資格にもつながる。
設備やインフラの実務にもつながるかもしれない。
正直に言えば、その時点で電気主任技術者の仕事を深く理解していたわけではない。
ただ、電磁気学への興味と、手に職をつけたい気持ちと、まだ自分は勉強できるのか確かめたい気持ちが重なった。
それで僕は、電気の職業訓練校へ進むことにした。
周りより理解できる感覚が、少しだけ自分を戻してくれた
訓練校に入ってから、最初に感じたのは、安心に近いものだった。
少なくとも、授業についていけないという感覚はなかった。
むしろ、周りより理解が早い場面も多かった。
それは、かなり久しぶりの感覚だった。
東大寺や阪大では、自分よりできる人たちが当たり前にいた。
自分は凡庸なのではないか。
もう上には戻れないのではないか。
そんな感覚が、長い間まとわりついていた。
でも、職業訓練校では、少なくとも勉強面では手応えがあった。
自分はまだ、理解できる。
まだ、学べる。
その感覚は、崩れた自尊心を少しだけ支えてくれた。
もちろん、それで人生が一気に変わったわけではない。
でも、失ったものばかりを数えていた時期に、「まだ残っているもの」が見えたのは大きかった。
座学は退屈だった。でも、退屈を利用するようになった
ただ、訓練校が理想郷だったわけではない。
座学は、教科書を読むだけの時間も多かった。
正直、退屈に感じることもあった。
一方で、実習はきちんと受けた。
工具を使い、配線を触り、設備に近いものを見る。
それは、机の上だけでは分からない感覚だった。
座学中には、簿記1級の勉強をしたり、電験の自習をしたりもしていた。
今思えば、かなり勝手な受講生だったと思う。
けれど当時の僕には、焦りがあった。
ここに長くいすぎてはいけない。
早く実務に出ないといけない。
愛知での空白期間が、ずっと負い目になっていた。
だから、訓練校は休む場所であり、同時に次へ行くための踏み台でもあった。
上に戻りたい。でも、同じ場所には戻れない
訓練校には、いろいろな人がいた。
真剣に学ぶ人もいた。
給付目的に近い人もいた。
年齢も背景もばらばらだった。
その環境自体は、そこまで嫌ではなかった。
けれど、しばらくすると、また別の焦りが出てきた。
ここは、自分がずっといる場所ではない。
そんな感覚だった。
かといって、研究職やメーカー開発のような、純粋な学歴と理論で勝負する世界へ正面から戻れるとも思えなかった。
そこには、自分より頭がよく、ずっと真っすぐ進んできた人たちがいる。
同じ土俵で勝てる自信はなかった。
だから僕は、少し違う場所を探し始めた。
理論だけではない。
現場だけでもない。
資格だけでもない。
実務と理論の間に、自分が立てる場所はないか。
電気という分野は、その可能性を少しだけ見せてくれた。
職業訓練校は、ゴールではなく入口だった
電気の職業訓練校に行ったことで、人生がきれいに好転したわけではない。
そこにも退屈はあった。
焦りもあった。
過去の空白が消えるわけでもなかった。
それでも、あの場所で僕は、自分の中にまだ使えるものが残っていると知った。
学習能力。
新しい分野へ入っていく感覚。
理論に触れた時の面白さ。
現場に近づいていく実感。
それらは、会計事務所で消耗していた時には見えにくくなっていたものだった。
次に必要なのは、実務だった。
教室の中で理解できるだけでは足りない。
本物の設備、本物の現場、本物の責任に触れなければ、もう一度立て直したとは言えない。
そう思うようになっていった。
その先で見つけた会社のひとつが、再生可能エネルギーの会社だった。
東京本社。
メガソーラー。
特別高圧。
当時の僕には、その響きが、もう一度どこか上の環境へ戻れる入口のように見えていた。
次に読む再生可能エネルギー会社、東京本社、初めての保守点検現場。憧れと現実が混ざる実務編へ。
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