退職を決めた時、胸の奥にあったのは、勝利でも達成感でもなかった。
やっと言えた、という安堵はあった。
けれど同時に、また逃げるのか、という声もあった。
大阪を出た時も、愛知を出た時も、僕はどこかから逃げていた。
今回は違う、と言い切りたかった。
電験を勉強し、職業訓練を経て、再エネの実務に飛び込んだ。特高発電所も見た。現場にも出た。大型案件にも関わった。
だから、ただ逃げただけではない。
それは本当だと思う。
でも、半分はやっぱり逃げだった。
東京本社という響きに見ていた夢が終わり、これ以上この場所にいると、自分の中の何かが雑に削られていく気がした。
退職届の向こうに、明るい未来が見えていたわけではない。
ただ、ここから離れなければいけない、という感覚だけが残っていた。
退職を言葉にした瞬間、身体の力が抜けた
退職の意思を伝えるまで、頭の中では何度も練習していた。
どう言えば角が立たないか。
どこまで理由を話すか。
会社への不満に聞こえすぎないようにするか。
それとも、正直に限界だと言うべきなのか。
結局、退職の理由をきれいに整理することはできなかった。
忙しさ。
人間関係。
安全への不安。
組織の曖昧さ。
東京生活の疲れ。
後輩や同僚との距離感。
本部長からの圧力。
いくつもの理由が絡み合っていて、どれか一つを取り出して「これが原因です」と言える状態ではなかった。
でも、言葉にした瞬間、身体の力が抜けた。
ああ、もうここに残るふりをしなくていいのか。
そう思った。
退職の意思表示は、人生を前に進める決断というより、まず自分をその場から降ろすための行為だった。
有給消化中も、頭の中は仕事に残っていた
退職を伝えた後、すぐにすべてが終わるわけではない。
引き継ぎがある。
残っている案件がある。
自分が持っていた資料や経緯を、誰かに渡さなければならない。
有給消化という言葉だけを見ると、少し楽になったように見える。
でも実際には、頭の中はしばらく会社に残っていた。
引き継ぎ書を作る。
案件の経緯を書く。
誰が何を知っているのか整理する。
未処理の火種をできるだけ残さないようにする。
最後くらいはきちんとしようとしていた。
そこにも、僕の悪い癖が出ていたと思う。
もう辞めるのに、最後まで良い人で終わろうとする。
迷惑をかけないようにする。
恨まれないようにする。
でも、本音を言えば、もうかなり疲れていた。
有給消化は休みではあったけれど、完全な休息ではなかった。
心だけが、まだ会社の廊下を歩いているような時間だった。
東京本社という響きが、少しずつ遠くなった
入社した頃、東京本社所属という響きは大きかった。
阪大を中退し、期間工やひきこもりを経て、職業訓練校にいた自分にとって、それは少しだけ上流へ戻れたような言葉だった。
本社。
東京。
再エネ。
特高発電所。
技術職。
それらの単語は、自分の履歴書の汚れを薄めてくれるように見えた。
けれど、働いていくうちに、その響きだけでは自分を支えられなくなっていった。
満員電車。
放任主義の職場。
丁寧に教える余裕のない人たち。
本社と地方の距離。
矢面に立つ調整役。
肩書きや所属は、外から見ればきれいに見える。
でも、その中でどんな表情で働いているかは、履歴書には書かれない。
東京本社という響きに憧れていた自分は、たしかにいた。
ただ、その憧れは、有給消化の頃にはもうかなり色あせていた。
東京を離れる準備をしながら、僕はようやく認めた。
ここは、戻りたかった場所ではなかった。
選んだことは後悔していない。でも、残り続ける場所ではなかった
この会社を選んだこと自体は、今でも後悔していない。
それは強く思う。
短期間で現場に出た。
特高発電所を見た。
点検にも立ち会った。
使用前自主検査や安全管理審査の重さも知った。
電験の知識だけでは分からない、実務のざらつきを知った。
あの経験がなければ、今の自分の技術者としての骨格はかなり薄かったと思う。
だから、あの会社をただの失敗として片づけたくはない。
でも、良い経験だったことと、そこに残り続けるべきだったかどうかは別の話だ。
人は、成長できる場所で消耗することがある。
学べる場所が、長くいる場所とは限らない。
その区別が、当時の僕にはまだ難しかった。
だから最後まで、辞めることに少し罪悪感があった。
恩を仇で返すような気持ちもあった。
けれど、残ったところで、誰かにとって良い社員でいられたとしても、自分にとって良い人生にはならない気がした。
その感覚を、もう無視できなくなっていた。
半ば逃げるように、東京を離れた
東京を離れる時、大きな区切りのような演出はなかった。
ドラマの最終回みたいに、誰かが温かい言葉をかけてくれるわけでもない。
自分の中で何かがきれいに整理されたわけでもない。
荷物をまとめる。
手続きをする。
部屋を片づける。
次にどこへ行くかを考える。
その一つひとつをこなしながら、僕は東京を離れた。
半ば逃げるように。
でも、それでよかったのだと思う。
あの時の自分に必要だったのは、きれいなキャリア戦略ではなかった。
まず、壊れかけた場所から距離を取ることだった。
ただ、実家に戻れば落ち着けるかといえば、そんな単純な話でもなかった。
父親のいる場所に長くいると、また別の重力に引っ張られる。
無職でいることへの視線。
何をしているのかという圧。
早く次を決めろという空気。
僕はまた、どこかへ移動する理由を探し始めた。
そして次に見つけたのが、栃木のIT専門校だった。
今度は、上流へ戻るためではない。
まず休むために。
そして、電気だけではない別の道具を身につけるために。
次に読む退職後、実家で落ち着くはずが、父親の重力圏に長くいられなかった。休養と給付、そして電気×ITへの問題意識から、もう一度職業訓練を使うことになる。
続きを読む