その会社で得たものは、大きかった。
これは本当にそう思っている。
もしあの時、再エネの実務に飛び込んでいなければ、僕は図面の読み方も、現場の空気も、特高発電所の重さも、ここまで身体で知ることはなかった。
ただ、経験が増えるほど、仕事は面白くなるだけではなかった。
現場に行くたびに、学べることは増えた。
同時に、見えてはいけないものまで見えてくるようになった。
安全の曖昧さ。
書類と実態の距離。
責任の所在のぼやけ方。
そして、何かが起きた時に、自分がどこまで巻き込まれるのか分からない怖さ。
退職を考える輪郭は、ある日突然はっきりしたわけではない。
点検、事故、大型案件、調整、書類。
その一つひとつが、少しずつ線を濃くしていった。
現場は、教科書よりずっと重かった
職業訓練校で電気を学んでいた頃、僕はどこかで理論に救われようとしていた。
数式がある。
法規がある。
設備の構成がある。
きちんと勉強すれば、きちんと分かる世界があるはずだと思っていた。
でも現場は、教科書のように綺麗には並んでいなかった。
図面と実物が微妙に違う。
過去の経緯を知る人が辞めている。
誰がいつ何を判断したのか分からない。
オーナー、元請、協力会社、地方拠点、本社。
関係者が増えるほど、正しさは一つではなくなっていった。
それでも設備はそこにあり、点検日は来る。
太陽光発電所は止まらない。
メールの返信が遅れても、現場の朝は来る。
そのあたりから、僕は「技術を学ぶ」という言葉の中に、かなり泥臭いものが混ざっていることを知っていった。
点検中の事故が、きれいごとを剥がした
安全という言葉は、職場で何度も聞いた。
安全第一。
危険予知。
作業前確認。
手順書。
保護具。
書類の上には、いくらでも安全らしい言葉を並べることができる。
けれど、現場で事故が起きると、その言葉の重さは一気に変わる。
点検中の感電事故に触れた時、僕はかなり強く揺さぶられた。
詳細をここで細かく書くつもりはない。
誰かを責めるために書きたいわけでもない。
ただ、あの出来事以降、現場を見る目は変わった。
作業前の確認は本当に足りているのか。
手順は現場の実態に合っているのか。
誰が危険を止める権限を持っているのか。
協力会社任せになっていないか。
本社から見えている安全と、現場で起きている安全は同じなのか。
そういう問いが、頭から離れなくなった。
安全文化という言葉は、口で言うだけなら簡単だった。
でも本当に危ない場面に立つと、その会社の癖や、組織の弱さがにじみ出る。
そのにじみ出たものを、僕は見なかったことにできなかった。
大型案件は、技術より先に調整で削ってきた
同じ頃、大型のメガソーラー案件も増えていった。
二十メガ、四十メガ。
数字だけを見ると、少し誇らしくもあった。
大きな設備に関わっている。
自分はそれなりに重要な現場に立っている。
そう思える瞬間もあった。
でも規模が大きくなるほど、仕事は技術だけでは回らなくなった。
安全書類。
施工側とのやり取り。
地方拠点への協力依頼。
協力会社との段取り。
オーナー側への説明。
社内の承認。
現場で必要なものを揃える前に、まず関係者の認識を揃えなければならなかった。
それが、想像以上にしんどかった。
技術的に難しいから疲れる、というだけではない。
誰かの確認漏れ、誰かの認識違い、誰かの書類不足が、別の誰かの負担になっていく。
その流れの中で、なぜか自分が穴を埋める側に立つことが増えていった。
学びたい。
経験したい。
そう思っていたはずなのに、いつの間にか、現場と組織の隙間を埋める仕事にかなりの体力を使っていた。
外資オーナー案件で見えた、図面と管理の怖さ
外資系のオーナーが関わる案件では、別の難しさもあった。
もちろん、外資だから悪いという話ではない。
むしろ、きちんと管理されている案件もある。
ただ、僕が見た一部の現場では、図面や管理体制の粗さがかなり気になった。
資料はある。
契約もある。
関係者もいる。
でも、現場の実態と書類の整合が取り切れていない。
誰が最終的に責任を持つのかが、場面によってぼやける。
そんな感覚があった。
設備は巨大だった。
関係者も多かった。
金額も責任も大きい。
それなのに、足元の情報がどこか危うい。
このまま何かが破綻した時、自分はどこまで巻き込まれるのだろう。
そう考えることが増えた。
以前なら、大きな案件に関われることを成長の機会だと思っていた。
でもこの頃には、大きな案件ほど、会社の管理力や安全文化の穴も大きく見えるようになっていた。
技術を学びたいのに、組織の歪みを受け止めていた
僕がこの会社に入った理由は、技術を学びたかったからだった。
太陽光発電所の実務を知りたかった。
特高設備を見たかった。
電験で学んだことを、現実の設備と結びつけたかった。
その意味では、会社はかなり多くの経験を与えてくれた。
短期間で普通では触れられない規模の現場を見た。
地方にも行った。
協力会社の作業も見た。
安全管理審査や使用前自主検査の重さも知った。
だから、ただ悪い場所だったとは言いたくない。
でも同時に、技術を学びたい自分が、いつの間にか組織の歪みを受け止める役割になっていた。
本部長からの圧力。
地方拠点からの不満。
協力会社との調整。
オーナー案件の曖昧さ。
安全上の不安。
大型案件の責任の重さ。
それらが一つずつではなく、まとめて自分のところに流れ込んでくる感覚があった。
現場に出れば学べる。
それは正しい。
でも、学び続けるには、心身が壊れない場所にいる必要がある。
その当たり前のことを、僕は少しずつ見失っていた。
退職の輪郭が、もうぼやけなくなった
辞めたいと思うこと自体は、前からあった。
でも、辞めると決めるには理由が必要だった。
ただしんどいだけなのか。
自分が甘いだけなのか。
もう少し頑張れば成長できるのか。
ここで逃げたら、また同じことを繰り返すのではないか。
そういう言葉で、何度も自分を引き止めていた。
けれど、事故や大型案件を通じて、考え方は変わっていった。
これは単なる忙しさではない。
自分の耐性の問題だけでもない。
組織の責任の曖昧さや、安全文化の弱さに、自分が長く耐え続ける未来が見えない。
そう感じるようになった。
経験は得た。
成長もした。
この会社を選んだこと自体は、後悔していない。
でも、ここに残り続けることが、自分にとって正しいとは思えなくなっていた。
退職の輪郭は、もうぼやけていなかった。
あとは、それを口に出すだけだった。
そしてその後、僕は有給消化と引き継ぎ書の作成をしながら、半ば逃げるように東京を離れていくことになる。
次に読む退職意思を伝え、有給消化と引き継ぎ書を作りながら、東京本社への憧れが終わっていく。逃げるように離れた後、次に向かったのは休むための職業訓練だった。
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